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独身アラフォー非モテ男の婚活日誌

友達なし彼女なしのアラフォー非モテ男による婚活活動日誌

閑話休題 その二(かつて先人たちはどのようにして「生理的に無理」問題を克服して皆婚社会を実現したか)

サトー タロー役の辺野々々・ローロ・茂平次(へのへの  ろーろ  もへじ)です。今回は非モテの婚活では避けて通れない「生理的に無理」問題について書いてみます。
 

 

 
これまでの数年間の婚活の中で直接「生理的に無理と 」と言われたことは一度もありません。でもそう思われてるなぁと感じたことは数限りなくあります。イベントで無い勇気を振り絞って話しかけても、女性が私の顔を見て一瞬の間の後、社交辞令的な返事をされることが多々あります。そういう時の間の間、女性の顔に「セイリテキニムリ」と書いてあります。
女性の婚活ブログでもこの言葉はよく見かけることがあって、以下のサイトのコメント欄を読むと女性の率直な感じがよくわかります。要は嫌なものは嫌、ダメなものはダメということのようです。例えるなら、砂糖が甘く、針を刺すと痛いように、ブサメンやキモメンは「生理的に無理」なのでしょう。
 

生理的に無理やスペックの婚活言葉は使わないで!

http://sarakonkatu.com/index.php?生理的に無理やスペックの婚活言葉は使わないで!

 
 
 
ところが、これを覆すかもしれないデータを見つけてしまいました。生涯未婚率のグラフです。
 

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グラフによると男女共に未婚率は右肩上がりで上がり続けているので、よく日本の少子化を説明するときに使われるグラフです。このグラフの男性側の1970年以前の値を見てください。1920年まで未婚率が2%前後をキープしていて98%の男性は結婚できていたといことになります。これって今の常識からは考えられないことだと思うんです。みなさんは世の中の男性のキモメン率ってどのくらいだと思いますか?判断基準に個人差があるので客観的な値は出せませんが、自分の感覚だと自分含めて20〜30%程度はいると思います。どうひいき目に見ても10%程度はいるでしょう。つまり、少なくとも1970年以前の数十年に渡って、キモメンやブサメンも女性の「生理的に無理」の壁を乗り越えて結婚していたことになります。これってどうやっていたんでしょうか?昔はキモメンやブサメンはいなかったんでしょうか?メンクイの女性が少なかったんでしょうか?神業(かみわざ)的なマッチングシステムが存在いたんでしょうか?
 
 
ググって少し調べてみました。最初に見つけた論文には、今度経済成長期で経済的な理由で結婚をためらう女性が少なかったということと、その人が住んでいる地域や務めている会社で次々とお見合いをアレンジしてたから、みんな結婚してたと書いてありました(ほぼ全員が結婚できた社会を「皆婚社会」や「皆婚システム」と呼ぶようです。非モテにとっては理想的な社会ですね。)。でもこの理由では、今より結婚しやすい環境があったとは言えても「生理的に無理」な人と結婚させるほどの効力はありません。
 
未婚化を推し進めてきた 2つの力 ―経済成長の低下と個人主義イデオロギー
 
 
 
結局、この「皆婚社会」をキーワードにもう少し調べて、自分なり納得できる答えにたどり着くことが出来ました。キーワードは「男尊女卑」と「良妻賢母」という2つ。要は、法律や制度、慣習、教育などあらゆる社会的な仕組みで女性の能力や生き方を制限し、結婚と育児を強制するというもの。まともな教育も受けられず就職先も制限されては生きていけないので、親が決めた結婚相手が「生理的に無理」でも結婚するしか道はありません。
 
 
 
ネットで見つけた資料に書かれていた具体的な例を引用してみます。
 
女性をめぐる社会的環境の歴史的展開 ──女性史年表の記載項目から── 1
 
そもそも1949年の新民法で結婚は当人同士の合意で成立すると決まる以前は戸主、今で言うと世帯主が結婚相手を決める権利を持っていて実際に決めていたようです。年頃の男女の親同士が相談して結婚相手を決めていたのでしょうか。もしこの当時に生まれていれば、両親が結婚相手として加藤綾子アナウンサーみたいな女性を連れてくるという状況も可能性としてはあったのかも知れません。さらに、男は結婚しても妾という扱いで浮気も認められたのに、女は姦通罪として処罰されました。男としては親が勝手に決めた結婚相手が気に入らなくても妾を作ればいいという感じだったのかもしれません。
 
P.25
戦前の女性の結婚といえば、 「家」制度と戸主権に支配されたものであり、妾をもつことは、 男の甲斐性ともいわれたが、1870(明治 3)年、 新律綱領で妾を公認し、妻と同等の二等親においた。
 
 
P.28
女性の結婚・離婚に対する権利は戸主がにぎっていたが、大正デモクラシー期に入ったころから、 注目すべき判決がではじめ、 1915(大正 4)年、 大審院 【以下、 ことわりがないのは大審院判決】 、 初めて(内縁の妻に)婚姻不履行に基づく賠償請求を認める、 同年、 婚約の予約有効の判決、 1926(大正15)年、男子貞操に関する判決。1930(昭和 5)年、離婚訴訟で、子供ができないのを理由に夫が妾を囲うのを認められない、 という妻の言い分を認め、夫に 1 万円の慰謝料支払いを命じた。同年、身持ちの悪い夫には妻の財産管理権なし。1931(昭和 6)年、大阪控訴院、未亡人の貞操に関しある程度の性の自由を認める、1932(昭和 7)年、妻の持ち物は夫でも自由にならないと判決。
 
P.29

1947 年には、めて職結婚を公めた。 年、を改

 

1949 年に施行された戸籍で、「家」、主、家され、成人の結婚は性の意で成も夫婦戸籍は夫婦成されることになり、力規され 婚も自になった。
 
 
 
戦前の女子教育の目的は「良妻賢母」で、夫を助けて立派な子どもを育てることだったようです。昨今の「女子力」との違いを考えると考え方のベースが違いすぎて頭がクラクラします。こういう教育を受けたほとんどの女性はライフプランとして学校を卒業したら結婚することを考えていたんだと思います。最近はテレビでも映画でも女性が男顔負けの活躍をしますが、当時では考えられない発想なんでしょうね。
 
P.16
高等女学校では斎藤が言うように、次第に「良妻賢母」教育がおこなわれるようになった。「良妻賢母」の語は、 1891(明治 24)年に創刊された 『女鑑』発刊の趣旨の一節に「女子教育の本旨は其の淑徳を啓発して、男子の功業を扶くるに足るべき、良妻たらしむるにあり。健全忠勇なる児孫を養成すへき、賢母たらしむるに在り。(略)女鑑は貞操節義なる日本女子の特性を啓発し、以て世の良妻賢母たるものを養成するを主旨とす」としたのが最初だと私はみている。
 
 
 
 
1972年の男女雇用機会均等法がにあるように、今は男女平等が当たり前です。でも、戦前は今で言う女性差別が当たり前でした。女性が働ける職業は限れていて、なおかつ低賃金でした。あと女性が働くことだけでなく、夫婦で働くことも「共稼ぎ」として世間から白い目で見られていたようです。
 
P.18
1979(昭和 54)年にスタートした共通一次試験(後センター試験)は、 私立大学にも広がった。男子のみしか受入れなかった東京商船大学が女子受験を認め、 海上保安学校航空管制官気象大学校等 12 種の国家公務員採用試験女性に開放と、次第に女性への門戸は広がってきている。
 
 
P.19
1868(明治元)年、 商法司が商法大意で「職業の自由」を布告したが、 「武家の商法」と揶揄されるように武士の立場は様変りした。文明開化、富国強兵のなかで、資本主義化による近代産業の発達とともに、女性の社会進出がはじまったが、戦前期の女性の職業の根幹に存在するのは「低賃金」だった。男子は戸主として、一家を支えるという大義名分があったが、女性の職業は、戸主の補助・内助にすぎないと位置づけられたためである。
 

 

 
P.20
明治時代に新職業として、需要が発生したのは小学校教員養成で、師範学校卒業後の任地は任命制で、給与も男子教員の 2/3 だったので、就業義務の 2 年間を終ると、結婚していく者が少なくなかった。師範学校進学に対し、親はショックをうけ、幸福の断念ととり、周囲も師範に入る娘は容貌が醜いから、 縁遠いからなどとの評判を立てた。極例だが、 「学問好きな女子は家名を傷つけるというので親族会議を開いた」ケースもあった。教員だけではないだろうが、共稼ぎの場合「親戚からまだ共稼ぎを止めないのかと再三言われた」という。共稼ぎとは卑しみと同義語だった。未婚女性の場合は、 親の経済的補助、 兄弟の学資を稼ぐものが少なくなかったが、社会勉強のため勤めるケースも散見されるが、侮蔑的な目があったことは否定できない。
 
 
P.23
1946 年の失業者は 600 万人、 完全失業者は 159 万人、 男性の職場確保のため国鉄は、 婦人・年少者を中心に 7 万 5 千人の解雇通告、 追随する企業が続出し、多くの女性が職場を失った
 
 
 
 
みんなが結婚できる皆婚社会は男にとってはある意味いい時代でしたが、いまさらあり得ない時代ですね。テレビなんかで若者を批判して昔はよかったという年配の男性コメンテーターを見かけることがありますが、そういう人は男尊女卑の社会を謳歌していたのかも知れません。
 
こういった戦前、戦後の資料を読むと、日本は価値観や社会がとても変わっていたことが分かるんだけど、これまで生きてきてそういうことを意識したことがありませんでした。実は普通の生き方って、昔からある世間の「お見合いシステム」を前提にしたものなんじゃないかという気がします。欧米には学校卒業前にダンスパーティをする習慣があって、男女共にかなり気合を入れて参加して異性との出会いに繋げてるような話を聞いたことがあります。今の日本って不純異性交遊禁止!みたいなことを学校では言っていて、卒業したら放置する感じだけど、昔は卒業した後は世間で面倒を見ていた訳です。卒業後が自己責任なら学校にいる内ももうちょっと自由でもいんじゃないだろうか。クラブ活動も学校に閉じてるより、その地域の方がコミュニティーの幅が広がる気がします。
 
まあ、過去に戻ったり時代を逆行させることはできないので、非モテは今あるサービスを使って婚活を続けるしかないんでしょうけど。
 
自然の動物の世界の未婚率ってどのくらいなんだろうか。クジャクは美しい羽根が有名だがあれはオスだけにあってメスへの求愛行動の時に羽根を扇状に広げる。それってつまり美しくない羽根のオスはメスに相手にされないということだ。鹿の大きなツノもオスだけにあるのでクジャクの羽根と同じようにメスの取り合いやオス同士の縄張争いに使われるんだろう。やっぱり生まれ持ったツノが貧弱だと子孫が残せないんだと思う。つまり、昔の日本で行われていた当人の意思を無視して親同士で結婚相手を決めるやり方はほとんど全員が結婚できたとしても不自然なことで主に女性側に無理を強いていたんだと思う。やはり女性のいう「生理的に無理」に従うことが自然の摂理に反せず正しいことなのだろう。
そうなると、非モテは結婚できず子孫も残せずいずれ淘汰されることになる。当たり前といえば、当たり前の話だが。
 
 
 
 
 
<クレームストーカー>窓口女性に恋愛感情隠し接近
 
皆婚社会のメリットとして独身男性の暴走を予防できる点がある気がします。時々ニュースで報道されるストーカー事件や通り魔事件の犯人は独身男性が多い気がしますが、たぶん、こういう人たちは時間とお金、そしてエネルギーを持て余して変な方向に突っ走ってしまうんじゃないでしょうか。昔の人は経験的にそういうことをよく分かっていたから、猫の鈴というか足枷代わりに結婚させていたんじゃないかな。まあ、相手の女性はたまったものじゃないだろうけど。